雨の日、桜の木の下の少女たち

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 雨の日は雨のにおいが支配する。普段、街中にふわふわと漂っている柑橘系の防腐剤のにおいは、雨のにおいに覆い隠されていた。

 朝からの雨、彼は開店前のスーパーの庇で雨宿りをして、車道を挟んだ向こう側の歩道に目を向けていた。そこには小さな公園があり、桜の木があり、その下に何人かの少女たちが集っていた。彼女らはみな薄地の長袖の制服を着ていた。春の、桜の季節のセーラー服だ。白地に紺の襟。スカーフの色はそれぞれで違っていて、臙脂か水色か乳白色。学年の違いを示しているのかもしれない。けれど、彼には彼女たちの誰が一年生か二年生か三年生かの見分けはつかない。同じ年代にいなければ、一年二年の差などわからないものだ。

 桜の木は歩道の上にまで枝を伸ばしていて、雨に散る花びらが、濡れて濃い灰色に染まったアスファルトを彩っていた。色の違う地面は何かの目印のよう。未確認飛行物体が降りてきて、そこからわらわらと出てきた小さなグレイの宇宙人が、桜の木の下に集う少女たちをさらっていく。雨宿りの彼はそんな想像をして、表情は変えなかったが、笑みを含んだ息をついた。

 少女たちはひとりひとりスコップを持っている。ある者は肩に担ぎ、ある者はそれを杖にして楽な姿勢を取っている。そのうちに彼女たちはだらだらと桜の木の下を掘り始める。それは今の季節の風物詩のようなものだった。桜の木の下には死体が埋まっている。桜は一年をかけて死体の養分を吸い、翌年の花を、血を薄めたようなやわらかな赤に染める。少女たちは死体を埋める。少女たちが自分たちを埋める。少女という死体を埋める。雨のにおいが街を覆っているけれど、彼女たちのそばに寄れば、防腐剤のレモン香を確かめることができるかもしれない。

 ざくんざくんというスコップと土が奏でる音が、雨の音と混じって彼の耳にまで届いた。環境音楽にも似たその音に、彼はほとんど無意識の内にジャケットのポケットを探っていた。煙草を探したことに遅れて気づく。自分に煙草を吸う習慣がないことにも、また少し遅れて気づいた。

 少女たちの靴やソックスやスカートが土で汚れる。浸食するように汚れていき、セーラー服にどこかパンクっぽい模様を作り始めたところで、彼女たちは満足したようにスコップによる環境音楽の演奏をやめた。

 雨が小降りになってきたので、彼はスーパーの庇から出て、角にある自販機までコーヒーを買いにいった。また庇の下に戻ってきたとき、少女たちは桜の木の下、囲むように突き立てられたスコップの檻の中で、携帯用のゲーム機に目を落としていた。ある少女は桜の木に立てかかるように背中を預け、ある少女はその足元に腰かけ、ある少女は腰かけた少女の太ももを枕にするように半ば寝転んでいた。みな一様にくつろいだ様子だった。

「……モンハン?」

 彼はコーヒーのプルタブを立てながら、ぽそりと呟いた。彼自身はほとんどゲームをしないため、流行りのゲームにはまるで詳しくない。携帯ゲームでモンスターハンターができるのかどうかも曖昧だった。

「モンハンはもう古いのかな」

 彼はコーヒー缶に向かってまた呟く。少女たちをぼんやりと眺めるうち、ふいに、「誰が埋まるかをゲームで決めている」という考えが頭に浮かんだ。ゲームの結果で誰が埋まるかを決める。勝った者が埋まるのだろうか。それとも負けた者が埋まるのだろうか。

 少女たちがゲームに興じている間にスーパーには明かりがつき、店員たちが開店の準備を始めたようだった。裏から正面に回ってきた警備員の人が彼を見つけ、それから彼が見ているほうに目を移した。

「ああ……」

「はい」

「役所に連絡しておいたほうがいいのかな」

「そうですね。一応、市民の義務らしいですし」

「まあ、そうか」

 彼と同様、警備員の人もそうすることにあまり乗り気ではない様子だったけれど、電話をかけるためにかスーパーの中に入っていった。彼は缶コーヒーを飲み干す。雨はもうすぐ上がりそうだった。ほどなくして、太ももを枕にされていた少女が小さくガッツポーズをした。小さな歓声と悲鳴が上がる。ゲームの勝者と敗者が決まったらしい。がっかりとうなだれる子もいれば、その子をなぐさめるように微笑みかける子もいる。

 太ももを枕にされていた少女が、太ももの感触を楽しんでいた少女に対してなだめるような様子で声をかけ、太ももの上にあったその子の頭をのけて立ち上がり、地面に空いた穴の中へと入っていく。仰向けに寝転んで、両手をお腹の上で組んだ。どうやらゲームに勝った子が埋まる決まりだったらしい。別の少女が彼女の隣に横たわり、もうひとり入って、その穴は満員になった。

 残った少女たちがスコップで土を被せていく。彼は空の缶コーヒーを指先で掴んでゆらゆらさせながら、ただそれを眺めている。

 埋まりかけの少女たちが、埋めている少女たちに向かって手を振っている。埋めている少女たちがそっと泣き真似をする。手の甲を目の下に当て、涙を拭うふり。彼女たちの頬が泥で汚れ、上がりかけの雨がそれをにじませていた。

 役所の人が到着するころには、三人の少女はほとんど埋められていて、古い怪奇映画のワンシーンのように地面から何本かの手が生えている状態になっていた。役所の人は警備員の人とスーパーの中でしばらく話をして、外に出てきて雨宿りの彼と少し距離を置いてたたずむ。お互いに何となく会釈する。こうしたとき、どういう反応をすればいいのかはなかなか難しい。諸説あるけれど、そのどれもが正解で、そのどれもが不正解であるとも言える。役所の人は少女たちが作業を終えるまで待つつもりのようだった。雨はほとんど上がり、ごくたまに彼の視界のどこかに白い線を走らせる程度になった。

 スコップワークス。そんな言葉があるのかどうか彼にはわからなかったけれど、少女たちの作業はそろそろ終わりに近づいているように見えた。スコップを扱うひとりが、濡れて額や頬に貼りついた髪をかき上げる。耳の後ろに引っかけ、けれどいく筋かはまたぱらぱらと流れる。彼は露わになった少女の耳につい目をやってしまう。

 不運にも埋められなかったほうの少女たちは、このあと役所の人に連れていかれ、ピアスをされることになる。そうした印をつけられてから、また街中へと解放される。耳の欠けた野良猫と同じように。かわいいピアスだったらいいよね、と彼はそう願うでもない思いを胸の中で呟く。

 雨が上がり、雲に切れ間ができたころ、地面にスコップが突き立てられた。すぐ下には三人の少女たちと三台の携帯ゲーム機が埋まっている。その上にもはらはらと桜の花びらが舞い降りて、春らしいやわらかな彩りを添えていた。

 役所の人がのんびりと散歩するように少女たちに近寄っていく。車道を挟んだ向かい側、役所の人間なので道路交通法を守らなくてはいけないらしく、横断歩道まで少し遠回りをする。雲の切れ目から日が差して、ひと仕事を終えた少女たちを照らし始める。まるで舞台か何かのスポットライトのように彼には感じられた。

 もうすぐ舞台の幕が下りる。満場の拍手のあと、ざわめきがあり、また幕が上がり、カーテンコール。埋められていた少女たちと埋めた少女たち。彼女たちはみな桜の季節のセーラー服を着て、それを雨で濡らし、泥で汚し、互いに手に手を取りあって一列に並んでいる。腰を折って深くお辞儀をする。鳴り響く拍手の中、再び幕が下りていく。