御座とモデルと抹茶のアイス

 キャンバスに描き出される少女は幼く、虚空に目を向けていた。白い肌を部屋の空気に晒し、腰の辺りだけがシーツに隠されている。洋間に敷かれた御座にお尻をつけて、右足を立膝にして、両手を後ろに置いて身体を支えている。女性の丸みはまだ微かで、うっすらと脇腹が浮き出ており、すらりと伸ばされた腕、肘が反対方向に沿っていて、この年頃特有の曲線を描き出していた。

 少女の左の瞳は赤で、右の瞳は青だった。どちらも鮮やかすぎる色で、カラーコンタクトなのがわかる。肩に触れて背中の流れる髪は銀色で、部屋に差し込む陽の光を受けて煌めいている。その髪も鮮やかで艶やかで、ウィッグなのだろうという想像を働かせることができた。

 少女はゆっくりと呼吸する。ただじっとしているだけの仕事はいつも退屈で、独特の大変さもあり、身体の後ろに流れ込んだシーツを指先に絡めて愛撫して気を紛らわせる。こっそりと。虚空に向いた目は半分ほどしか開けておらず、それで少女は空想の中に遊びに行ける。

 短くした黒い髪、その毛先が触れる形のよい耳。押し倒すように身体を預けて、その耳と髪に指を這わせる。いじくって。いじめて。赤くなった頬に、にたりと笑みを浮かべて。そうして少女は猫が甘えるように自分の頬をすり寄せて。

 けれど現実の少女の表情は静かだ。指先と、呼吸の胸の上下しか動かない。

 頬が笑みを作らないようには、ほとんど意識せずにできる。目を伏せて、どこかふてくされているような表情。それが描き手の好みだった。

 

 

 下描きが終わって色を塗るとき。少女の表情は僅かにきしむ。

 描き手が絵筆をキャンバスの上に滑らせる。すると空想の絵筆が肌の上を這い始める。

 その感触はやわらかで心地よく、けれどぴりぴりとほんのちいさく痛んだ。絵筆が腕に。指先に。頬に。肩に。胸に。脇腹に。もうやめてほしいと願うし、ずっと続けてほしいとも願う。吐く息が少し熱い。何故熱いのだろうという自分への問いが答えられずに放っておかれる。自分の心臓の音が強く聞こえる。立膝にした足が震えそうになるのを抑える。身体を支えている腕に意識が向く。腕を折り曲げて、そのまま横たわったらどれだけ気持ちいいだろう。

 いま、モデルをしてる、と少女は思う。作り物の瞳。作り物の髪。作り物の表情。それらを描かれる。すみずみまで。きっと作り物の内側まで。作り物の絵筆で、空想の絵筆で、肌をずっと撫でられていく。やわらかで心地よく、ほんのちいさく痛い。それがモデルをしている時間なのだと少女は思う。

 ゆっくりと熱い息を吐く。それから部屋の熱くない空気を吸い込む。御座のあおいにおいがした。抹茶のアイスが食べたい。ふとそんな考えが浮かんで、少女は意識の中だけで微笑んだ。

 

 

 黒髪には少しくせがあった。少女は肩に届かない自分の髪に指を絡める。ウィッグの感触を指先が思い出す。それほど通りのよくない自分の髪に、ふうっとちいさな息を漏らした。目を落とすと服の色があった。フリルのついたキャミワンピース。何もない肌色を思い出し、なつかしいような気持ちになる。

「がんばってくれたね。ありがとう」

 そう労って、描き手は少女の頭を撫でた。少女は思う存分微笑みを浮かべる。黒い瞳を描き手に向けて、短くした髪と形のよい耳を捉える。顔の前まで手を上げてから、すとんとその手を降ろした。

 怪訝そうにする描き手に、少女の無意識が「ござ」と口走った。

「……ござ、ちょっとねころんでってもいい?」

 無邪気に、あるいは無邪気さを装った表情でそう聞いていた。本当の気持ちは少女自身にもわからずにいたけれど、「ござ」と言った瞬間に、御座に寝転ぶのが、いまとても重要なことのような気がした。

 一呼吸のあと、描き手が戸惑いを苦笑に込めて頷くと、少女は描き手の首に腕を回して抱きつく想像をしながら、さっきまでモデルをしていた場所に顔を向けた。無邪気に小走りする。御座に身体を横たえる。頬に御座の編み込みの感触。すうっと息を吸い込み、帰りに抹茶のアイスを買おうと決めた。